毎月28日は、「いのちのつどい」の日です。
お寺に行って、お話しを聞きます。
今月は、「おぼん」についてのお話しを聞きました。
ねえねえ、みんなはお盆休み知ってるよね~
じゃあ、「おぼん」ってどういう意味?
えっ?!
おぼんって・・・
「コップや食べもの運ぶ木の板じゃないの、、、?」
これのこと・・・?
そう、そう!
みなさん、「おぼん」の本当の意味も知らずに、
やれ、「おぼん休みは海に行くとクラゲが出る」だの「おぼんになると、みんなで集まってごちそう食べよう」だのと言ってませんか?
でも、マコちゃんは知っています。
「おぼん」とは、、、(ドドーン)
「地獄に落ちる」という意味~
エ、エーッ!
「おぼん」とは正式には「盂蘭盆(うらぼん)」という言葉で表現されますが、
その「盂蘭盆(うらぼん)」とは、インドのサンスクリット語の「ウランバナ」という言葉から来ています。
この「ウランバナ」を直訳すると、「逆さづり」とか「真っ逆さまに、(地獄に)落ちる様子」という意味になります。
つまり「おぼん」の語源は、「逆さづり」や「真っ逆さまに、(地獄に)落ちる」という意味だったのです。
(※語源や「お盆」のお話しは諸説あります。)
では、こちらを見ていただきましょう。
こちらは、切子灯籠(きりこどうろう)と呼ばれる本来の盆灯籠です。
「ウランバナ(=逆さづり)」「真っ逆さまに落ちる」を表しているとも言われています。
へーーーーーっ
では、「おぼん」のお話しを、、、
昔々、インドにお釈迦様という方がおられました。
そのお釈迦様のお弟子さんの一人に「目連(もくれん)」という方がいらっしゃいました。
目連は、神通力(じんずうりき=超能力)をお持ちで、自分の優しいお母さんが亡くなった後、お母さんの極楽浄土での様子を神通力でのぞこうとしました。
しかし、目連のお母さんは極楽浄土にはいませんでした。
目連のお母さんは、餓鬼地獄(がきじごく)で苦しんでいたのでした。
そのことを知った目連は大変悲しみました。生きている時、あれほど優しかったお母さんが地獄に落ちているなんて。
何とかお母さんを救いたいと思い、お釈迦様に救う方法をお尋ねになられました。
目連のお母さんは、生きている時、自分が得たモノを人に分かち合わない罪で地獄に落とされていたのです。
ここまでお話しすると、子ども達が、
「えっ!モノを分けてあげないと、地獄に落ちるの?」
「わたし、ちゃんと妹におやつわけてるもん」
「わたし、よくばって、わけてあげなかった」
突然、懺悔の時間になりました。
「大丈夫、大丈夫」 続きのお話しをよく聞いてね。
救いの方法を求める目連にお釈迦様は勧められます。
『目連、あなたがお母さんのために、他の人へ施しやお世話を励めば、お母さんは救われます。』
そのことを聞いた目連は、一生懸命、他の人のお世話をしたり、自分の得たモノを分けてあげました。
そのおかげで、目連のお母さんは救われましたとさ。
目連は喜びのあまり、踊り出したと言われています。(これが盆踊りのはじまりとも言われています)
(以上、『おぼんのおはなし』でした。)
「いのちのつどい」は続きます。
でもね、目連のお母さんは、本当はケチンボじゃなかったんだよ、
手に入れたモノを、他の人には分けてあげなかったけど、実は自分も手にすることはなかったんだって。
手に入れたモノは、全て自分のかわいい子ども・目連の先生であるお釈迦様にお供えされていたらしいよ。
でも他人に分けなかったから、餓鬼地獄に落ちたとも言われているんだよ。
全ては自分のかわいい子ども・目連のためだったんだって。
目連のお母さんは、本当に自分の子どもの幸せを
願ってたんだね。
【亡くなった人は、自分達が思っている以上に、私たちのことを、いろいろと願ってくれている】んだね。
だから、みんなも、お父さんやお母さん、兄弟やお友達、先生、、、
【いろいろな人たちに、願われて生かさせていただいている】ことを、忘れないでね。
「はーい!」
自分が手に入れたモノは、必要なときには、兄弟や家族、他の人にも分けてあげてね。
「はーい!」
おもちゃ貸してって言われたら?
「いーいよ!どうぞ貸してあげる」
・・・8月の『いのちのつどい』の一コマでした。